|
ウィリアム・マーティン・"ビリー"・ジョエル(、1949年5月9日 - )は、アメリカのニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のロック歌手、ピアニスト、作曲家。ポップで親しみやすいメロディ・ラインと、大都会に生活する人々を描いたメッセージ性の強い歌詞で、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した。全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストとなっている。代表曲に、「ピアノ・マン」、「素顔のままで」、「アップタウン・ガール」、日本での人気が高い「ストレンジャー」、「オネスティ」などがある。 == 来歴 == === デビューに至るまで === ナチスから逃れるためドイツ南部からスイスを経てアメリカに亡命したアシュケナジム系ユダヤ人のハワード・ジョエルを父として、宝石商を営んだイギリス系ユダヤ人のハイマン(HeimanまたはHyman)家の娘を母としてニューヨーク市ブロンクスに生まれ、ロングアイランドの新興住宅地に育つ〔ベゴ2008、52-54頁。〕。 ジョエル家はユダヤ系ではあるがユダヤ教には無関心(non-observant)で、ビリー本人も幼少よりローマ・カトリックの教会に通い、11歳のとき正式に洗礼を受けて以来正式なである。 父はクラシック音楽のピアノ演奏に長けており、ビリーも母の要求で幼時にピアノを習い始めた〔ベゴ2008、58-59頁。〕。スポーツより音楽に興味があったため、少年時代はいじめを受け、自衛のためにボクシングを習っていた。短期間、アマチュアのボクサーとして試合に出場し、22勝の戦歴を重ねたこともあるが、24回目の試合で鼻の骨を折られたためにボクシングの道を断念した〔ベゴ2008、76-77頁。〕。 14歳の頃に、エコーズという名のバンドに参加した。ヒックスヴィル高校に学んだが、バーでピアニストとして働いていたために英語の単位を落とし、中退を余儀なくされた。「俺はコロンビア大学に行くんじゃなくてコロムビア・レコードに行くんだから高卒の資格なんか必要ない」と言い放ち〔ベゴ2008、87頁。〕、最終的には事実コロムビア・レコードと契約した。中退から25年後の1992年、ビリーは同校にエッセイを提出して卒業資格を認定されている〔ベゴ2008、301頁。〕。 ミュージシャンとしては、故郷のロングアイランドを拠点に活躍していたハッスルズのメンバーとして活動した後、彼と共にグループ内で活動していたドラマーのジョン・スモールとのユニット、アッティラを結成して2枚のアルバムを発表。しかし、アッティラは鳴かず飛ばずのままで結局解散してしまう。当時ジョエルは鬱病に悩まされており、極度の神経衰弱から精神病院に入院している〔ベゴ2008、101-102頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビリー・ジョエル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Billy Joel 」があります。 スポンサード リンク
|